警視庁創立150年 警視庁創立150年

街とともに。人とともに。

警視庁は、令和6年1月15日、
創立150年を迎えました
街とともに 都民の皆様とともに歩んだ 警視庁
未来へと続く「世界一安全安心な街・東京」の実現を目指します

News

2024.02.22 イベント

イベントレポートを更新しました

「警視庁創立150年記念コンサート」「ポリスミュージアム(警察博物館)特別展」の際の写真を掲載しました。

2023.12.01 お知らせ
警視庁創立150年について
2023.12.01 お知らせ

警視庁創立150年について

先人が築いてきた良き伝統を継承し、歴史の紡ぎ手として次代を切り拓き、いかなる状況下においても首都東京の安全・安心を守り、都民・国民の信頼に応えるという決意を新たにし、日頃の警察業務への協力に対して感謝の意を伝えてまいります。

記念事業の基本コンセプト

・都民への感謝
・伝統の継承
・未来への飛躍と発展

2023.12.01 お知らせ
記念ロゴについて
2023.12.01 お知らせ

記念ロゴについて

警視庁職員から記念ロゴのデザインを募集し、計736点の応募の中から、大島警察署の女性警察官が考案したデザインが記念ロゴに選ばれました。

制作者が作品に込めた想い

ひと目で警視庁らしさ、安心感、信頼感を伝えたいと思いました。 伝統の継承を、図案化したエンブレムの桜葉で表現するとともに、「150」の「0」と旭日章を組み合わせることで未来を明るく照らしている様を表現して、警視庁がさらなる発展を遂げられるようにとの願いを込めました。

Message

大沢在昌様
京極夏彦様
小泉孝太郎様
近藤春菜様
今野敏様
さだまさし様
高橋尚子様
舘ひろし様
田中希実様
田中史朗様
出口保行様
所ジョージ様
戸田奈津子様
内藤剛志様
長嶋茂雄様
野口聡一様
野沢雅子様
のん様
林家たい平様
原晋様
船越英一郎様
水谷豊様
宮部みゆき様
室伏広治様
森保一様
養老孟司様

History

慶応3年10月14日徳川幕府が崩壊し、天皇親政の明治の世となってから、わが国は政治、経済、文化等あらゆる制度文物を諸外国から吸収し、めざましい発展を遂げ、近代国家建設へと力強い歩みを続けました。
しかし、時代の流れと社会の進展にともない、治安関係も次第に複雑化し、これに対応する警察制度を確立する必要に迫られました。

このため、政府は、明治5年9月8日大警視川路利良等を警察制度研究のため、欧州へ出張を命じました。一年で帰朝した川路大警視等は、わが国の警察制度が欧州各国に比べ、余りにも遅れていることを知り、その不備を指摘して改革の必要を強調しました。特に首府であり、政治、経済、文化の中心地である東京に、独立した首府警察の実現を図るべきであると政府に建議しました。
この建議こそが、東京警視庁の設置を促す動機となり、明治七年一月十五日太政官達第六号をもって、東京府下の警察事務一切を管理する、東京警視庁の創置となりました。

川路利良は初代大警視(現在の警視総監)に任命され、国事犯については全て警視庁の長に執行の権限が与えられたので、明治39年(1906年)警視庁官制の改正まで、その権限は全国に及んでいました。このため、西南の役はもとより佐賀、萩、秋月、神風連などの騒乱に際し、警視庁の警察官が各地に派遣され、騒乱の鎮圧または警戒警備にあたりました。
このような士族の反乱が各地で頻発したことから、政府は全国の警察を一元化して対処する必要に迫られ、警察力を内務省の直轄下(国家警察)に置くことに決まり、明治10年(1877年)1月、東京警視庁は発足からわずか3年を経ずして廃止されました。

内務省警視局に吸収されて「東京警視本署」となりますが、実質的には明治7年(1874年)1月15日の東京警視庁の設置こそが、警視庁の歴史と伝統の第一歩となります。

初代大警視 川路利良

現在の警視庁組織図※ 2023年12月1日付

1871

1871(明治 4年)

10月23日

従来の府兵を廃し、新たに邏卒(らそつ)を置く

1874(明治 7年)

1月15日

東京警視庁設置

8月19日

警察手帳交付

1877(明治10年)

1月11日

東京警視庁を廃し、内務省に統合

1月27日

内務省直轄の東京警視本署設置

1881(明治14年)

1月14日

警視庁再設置

1903(明治36年)

9月21日

騎馬巡査を配置(騎馬隊の発足)

1915

1915(大正 4年)

11月10日

大正天皇即位の礼

1918(大正 7年)

1月 1日

オートバイ(通称「赤バイ」)による交通指導取締り開始

1921(大正10年)

6月 2日

刑事部設置

1923(大正12年)

9月 1日

関東大震災
 

10月20日

警察官の拳銃携帯が許可される

1927

1927(昭和 2年)

2月 7日

大正天皇大喪儀

1928(昭和 3年)

11月10日

昭和天皇即位の礼

1936(昭和11年)

8月 1日

従来の「赤バイ」が
「白バイ」となる

1946(昭和21年)

3月18日

婦人警察官の採用開始
 

1948(昭和23年)

3月 7日

警察法施行

10月 1日

110番制度発足
 

1950(昭和25年)

6月 1日

無線自動車(パトカー)の運用を開始

1954

1954(昭和29年)

7月 1日

新警察法施行(都道府県警察の発足)

東京都公安委員会発足

1959(昭和34年)

10月15日

ヘリコプター「はるかぜ」導入

1960(昭和35年)

6月

60年安保闘争(第一次安保闘争警備)

1964(昭和39年)

10月10日

第18回オリンピック東京大会開幕

1969(昭和44年)

1月18日

東大紛争警備

1970(昭和45年)

6月

70年安保闘争警備(第二次安保闘争警備)

1972(昭和47年)

2月19日

あさま山荘事件(28日あさま山荘に警視庁部隊突入)

1974(昭和49年)

1月15日

警視庁創立100年記念式典
 

1987(昭和62年)

4月17日

警視庁シンボルマスコット「ピーポくん」制定

1989

1989(平成元年)

2月24日

昭和天皇大喪儀

1990(平成 2年)

11月12日

天皇陛下即位の礼
 

1995(平成 7年)

3月20日

地下鉄サリン事件

2001(平成13年)

6月 1日

警察署に警視庁警察署協議会を設置

2002(平成14年)

10月 1日

警察手帳の形状変更・個人識別章の着装開始

2003(平成15年)

4月 1日

組織犯罪対策部設置

2006(平成18年)

1月 1日

犯罪抑止対策本部設置

2011(平成23年)

3月11日

東日本大震災

2015(平成27年)

4月 1日

人身安全関連事案総合対策本部設置

2017(平成29年)

4月 1日

サイバーセキュリティ対策本部設置

2019

2019(令和元年)

10月22日

天皇陛下即位の礼
 

2021(令和 3年)

7月23日

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開幕

2024(令和 6年)

1月15日

警視庁創立150年

警視庁本部庁舎は、明治7年(1874年)の東京警視庁創立以来、鍛冶橋庁舎、日比谷赤煉瓦(れんが)庁舎、馬場先門内仮設庁舎、旧桜田門庁舎と、時代の変遷とともに移転してきました。庁舎の移り変わりについてご紹介します。

1874(明治7年)

1月24日

鍛冶橋第一次庁舎

所在地八重洲町2の4(鍛冶橋内、元津山藩邸)

東京警視庁の創立とともに、元津山藩邸の一部を改修して庁舎としました。
その後、明治10年(1877年)1月に内務省直轄の東京警視本署となり、明治14年(1881年)1月に警視庁として再設置され、機構の上では変革がありましたが、庁舎は明治15年(1882年)12月4日まで使用していました。

1882(明治15年)

12月4日

鍛冶橋第二次庁舎

所在地八重洲町2の4(鍛冶橋内、元津山藩邸)

第一次庁舎が老朽のため、明治15年(1882年)3月3日、同敷地内に、総工費約1万円をかけて、2階建庁舎の建築に着工、同年12月4日に竣工し、明治44年(1911年)4月16日まで使用していました。

1911(明治44年)

3月30日

日比谷赤煉瓦庁舎

所在地麹町区有楽町1の9(現千代田区有楽町1丁目9番)

鍛冶橋第二次庁舎は、東京駅敷地に編入されることとなったので、明治39年(1906年)年8月8日、日比谷濠端(ほりばた)に約3,357坪の敷地に、総工費約48万円をかけて、赤煉瓦造3階建庁舎の建築に着工、明治44年(1911年)3月30日竣工しました。
大正12年(1923年)9月1日に関東大震災で焼失するまで使用していました。

1923(大正12年)

9月5日

仮設庁舎(震災後の仮設庁舎)

府立一中、商工奨励館、帝劇化粧部屋の一部等を借用し、馬場先門内仮設庁舎ができるまで使用していました。

1924(大正13年)

2月27日

馬場先門内仮設庁舎

所在地内務省敷地内
(現在の馬場先濠皇居側、馬場先門から和田倉門にかけて)

内務省の敷地の使用許可を受け、大正12年(1923年)11月上旬、総工費約81万円をかけて、木造平屋建庁舎の建築に着工、大正13年(1924年)2月27日竣工しました。
その後次第に増築を行い、39棟を一連とした庁舎で、旧桜田門庁舎ができるまで使用していました。

1931(昭和6年)

5月29日

旧桜田門庁舎

所在地麹町区外桜田町1番地(現本部庁舎所在地と同じ)
(陸軍省陸軍教導団砲兵屯営の跡地)

大正15年(1926年)10月28日、現在の桜田門に総工費約420万円をかけて、地下1階、地上5階建庁舎の建築に着工、5年後の昭和6年(1931年)5月29日竣工し、昭和52年(1977年)1月まで使用していました。
関東大震災後の「霞が関官庁街集中計画」の先陣を切った建築でした。

1976(昭和51年)

6月から順次移転

仮設庁舎

所在地 本部庁舎(港区西新橋1丁目2番9号)(旧三井物産館) 永田町庁舎(千代田区永田町1丁目11番39号)(東京消防庁旧庁舎) 新橋庁舎(港区新橋6丁目18番7号)(現警視庁新橋庁舎所在地) 警察総合庁舎(千代田区霞が関2丁目1番1号)(現在も同じ) 音楽隊仮庁舎(荒川区南千住8丁目付近)

1980(昭和55年)

6月17日

現警視庁本部庁舎

所在地千代田区霞が関2丁目1番1号

昭和52年(1977年)6月8日、約5,915坪の敷地に総工費約271億円をかけて、地下4階、地上18階建庁舎の建築に着工、昭和55年(1980年)6月17日竣工し、現在に至ります。
新庁舎の建設にあたり、「伝統ある首都東京の治安の殿堂にふさわしい威容(いよう)を備えた格調の高い庁舎」、「都民の警察として親しみの持たれる明るい雰囲気のある庁舎」などが、基本構想として掲げられました。

詰襟から背広型へ、軍服的なイメージから市民への威圧感の少ないものへ、そして、機能性・活動性を追求しつつ美的にも優れたものへ。警察官の制服は時代とともに進化してきました。
明治4年(1871年)の邏卒制度発足に伴い、初めての制服が着用され、明治7年(1874年)に服制が定められて、警視庁の警察官すべてが制服を着るようになりました。
第二次大戦後、それまでの詰襟から背広型へとデザインを一新。現在の制服は、機能性・活動性とともに、警察官にふさわしい凜々しさや美しさも兼ね備えた物になっています。

男性警察官の制服

1890(明治23年)

1908(明治41年)

常衣(警部・警部補)

1908(明治41年)

1935(昭和10年)

冬服(巡査部長)

1949(昭和24年)

1954(昭和29年)

盛夏衣(巡査)

1968(昭和43年)

1994(平成6年)

冬服(巡査)

1994(平成6年)

現在

現制服(巡査)

女性警察官の制服

1949(昭和24年)

1951(昭和26年)

盛夏衣(巡査)

1951(昭和26年)

1954(昭和29年)

冬服(巡査)

1976(昭和51年)

1994(平成6年)

冬服(巡査)

1994(平成6年)

現在

現制服(巡査)

Movie

Event

2024.02.20
ポリスミュージアム(警察博物館)特別展

令和6年2月20日、警視庁創立150年記念特別展を開催しました。
150年間を、①「明治・大正」、②「昭和」、③「平成・令和」と三つの時代に分類して、それぞれの時代の警視庁の主な出来事や行事を当時の写真と制服の変遷等を展示しております。

2024.02.08
警視庁創立150年記念コンサート

東京オペラシティコンサートホールにて、警視庁創立150年記念コンサートを開催いたしました。
警視庁にゆかりのある作品や、警視庁創立当時に作曲された作品などを演奏しました。

Report

警視庁創立150年記念
パンフレット

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誰かを守りたいから

 「誰かを守りたいから」
 警察官を志した理由を訊かれ、かつて私の書いた刑事はそう答えました。家族、友人、恋人、あるいはまだ会ったこともない誰か。
 あなたがいるから、この街は守られている。それを何より大きな誇りとして、胸に抱きつづけてください。

作家

大沢 在昌

これからの150年のために

 警視庁創立150年とのこと。まずはお祝いを申し上げます。加えて、150年の永きにわたり私達の暮らしをお護りいただいていることに対し、心より感謝の意を表します。
 明治、大正、昭和、平成、令和と、この国はその形を大きく変えてきました。近世から近代を経て現代へ続く本邦の歴史を鑑みるに、まさに激動の二文字に集約されるものだったと言って良いでしょう。環境が、倫理観が、法律が、そして社会そのものが大きく変動し、その変化は現在も続いています。
 縷々流転する社会の秩序を維持し、人々の暮らしの安寧を保ち続けるという職務は、生半な決意では完遂できないことであろうと考えます。
 一市井人として、みなさまに護っていただくに相応しい生活者であることに努め、護るに価する社会を築けるよう心掛けなければいけないと、肝に命じる次第です。

小説家

京極 夏彦

見るだけで安心できる、身近で心強い存在に

 僕は、本当に警視庁の皆さんが大好きなんです!使命感や正義感を貫いていく姿。僕も「演じる」という形ですが、すごく皆さんを身近に感じていて、創立150年という節目に立ち会えて本当に光栄です。
 正しさとは何だろうと日々向き合うことは、全部の立ち振る舞いに繋がっていると思うんです。
 警視庁の皆さん、これからもより一層身近で心強い存在になっていって欲しいなと思います。僕は、一台のパトカーが通過するだけで安心するんです。街の皆さんが、警察官やパトカーの姿を見るだけで安心するような街になれば、こんな幸せな国ってないですよね。
 僕の大好きな警視庁が、これからも活躍されることを心からお祈りしています。

俳優

小泉 孝太郎

好きに勝るものはない 楽しむことが一番!

 私たちの日常を支えていただいて、「本当にありがとうございます!」という感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんの細やかな配慮、お仕事ぶりで、たくさんの方が過ごしやすい街になっていると思います。
 皆さんのことを尊敬している人はたくさんいます。大変なことも多々あると思いますが、私たちのお笑いを見て、笑っていただき、息抜きをしていただけたらと思います。これからも頑張ってください!

お笑い芸人

近藤 春菜

「警察の応援団」

 警視庁の前を通るときは、必ず車内から敬礼をします。小説の題材にさせていただき、大変お世話になりましたので、足を向けて寝られません。
 私はいつも警察を応援するつもりで作品を書いています。いろいろな主人公がいますが、いずれも「こんな警察官がいてくれたら」「警察にはこうあってほしい」という思いから生まれました。そのとき念頭にあるのは正義を信じる警察官の姿です。
 日々つらいこともたくさんあるでしょうが、どうか、「自分は正義の守人」であると信じ、自信を持って頑張っていただきたいと思います。
 小説ではやはり刑事を取り上げることが多いですが、もちろん、刑事だけでなく、地域も交通も警備も生活安全も組織犯罪対策も、そして総務も警務も、みんな応援しています。
 私は「正義の味方」の味方です。

作家

今野 敏

警視庁創立150年

 あの東日本大震災の最中でも、そしてこの無情なコロナ禍にあっても、人々の安全のために黙々と精一杯に仕事を続けてくださる警察官、警察関係者の皆さんに心からの敬意と感謝を捧げます。
 難しく、嫌な世の中になりました。貧すれば鈍すで、お金が全てという価値観がはびこり、お金ほしさに犯罪に対する罪の意識が希薄になっています。犯罪に手を染めることへの心のハードルが低くなりました。
 また、悪事に手を染めながら白か黒か明らかでないグレーゾーンに住み暮らしてほくそ笑む連中も居ます。犯罪が「利己的」で邪悪、姑息、狡猾になりました。ましてや善と悪とを単純に分けて考えにくい中途半端な時代です。
 その中で、私たち多くの国民にとって、殊に子ども達にとって、正義を信じて闘ってくれるヒーローこそが「おまわりさん」です。
 私たちは警察の正義を信じています。ひとの安全や暮らしを守るために命を捧げてくださるみなさんを心から讃えます。
 警視庁創立150年を心よりお祝い申し上げます。
 永遠に「かっこいい!警察」で居てください。心より感謝を込めて

シンガー・ソングライター、小説家

さだまさし

「感 謝」

 警視庁創立150年、誠におめでとうございます。過去150年の長きに渡り、首都東京の安全を護り、安心な社会生活を送れる基盤を支え続けてくださったことに、あらためて深謝申し上げます。
 私はマラソンランナーとして、東京国際女子マラソンを含め、東京の街を何度も走らせていただきました。先頭集団を誘導してくれるのは白バイ隊の皆さん。コース周辺を警備してくれている数多くの警察官の方たち。ランナーが何事もなかったかのように走れるのは、皆さんのおかげであることを強く実感し、感謝の念を込めてコースを駆けさせていただきました。
 警視庁=おまわりさん(警察官)、のイメージがありますが、白バイやパトカーが普通に走っているように見えるその影には整備を担当している職員の皆さんの奮闘努力があります。また華やかに見える騎馬隊には馬のお世話をする職員さんがいる。さらには音楽隊、警察犬、航空隊など異なる分野で様々な活動を通じ、その道のプロフェッショナルが私たちを支えてくださっていることも忘れてはいけません。
 最後になりますが、これからも都民、国民が安心、安全に暮らせる東京であることを願いつつ、職員皆さまのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

シドニーオリンピック
マラソン女子 金メダリスト

高橋 尚子

一層の飛躍を

 警視庁創立150年おめでとうございます。
 長い歴史の中で、治安維持と市民の安全を守る重要な存在として、警察官の皆様が使命感と誇りを持って任務にあたりご尽力されてきたことに感謝申し上げます。
 私は、これまで警視庁などを舞台にした作品の中で、俳優として多くの事件を解決(?)してきました。
 映画ではバイクに跨り拳銃を発砲しまくるなど、現実にはありえない刑事を演らせてもらいましたが、正義の象徴として、少しでも皆様のお役に立てていれば幸いです。
 150年の歴史は未来への礎となり、必ず次世代の警察官たちへ希望と誇りを与えてくれるものと思います。これからも時代の変化に対応しながら、警視庁全職員皆様のお力で、市民の安全と平和を守っていただくことを願っております。

俳優

舘 ひろし

使命を胸に

 警察の皆さんの「使命」とはなんでしょうか。
 私は、最近のモチベーションとして、走ることが自分の「使命」と捉えるようにしています。また、使命とは、単なる義務、仕事ではなく、希望、祈りなのだと捉えるようにもしています。
 子供の頃から走ってきて、気づけば走ることは趣味の一つから得意分野となり、アイデンティティとなり、やがては職業になりました。自分にとっての走ることの在り方が刻々と変化する中で、自分がなぜ走るのか分からなくなることも、沢山ありました。
 自分自身が苦しんだり、自分が走ることを有り難かってくれる誰かがいるのかどうかも分からないとしたら、なんの得にもならないことを、なぜやるのかと自問自答することもありました。
 それでも走り続けずにいられなかったのは、走ることによって成し遂げたい確かな希望が、自分の無意識下に刻み込まれているからだと思います。その希望の正体がなんなのか明確には分かりませんが、とにかく今自分に与えられた走ることで全力を尽くさなければと、急き立てられるようにして思うのです。
 偉大な技や創造物を見て感動する時、それらは内から湧いてくる思いをなんとかして表現しようと試行錯誤した末、ほとんど無意識に成されたものであると実感します。私の走りもそのようなものでありたいと思っています。
 警察のお仕事は、技術、芸術、スポーツといった文化的な事物とは一見離れているように感じられるかもしれませんが、もし、皆さんが社会を守り、支え、より良くしたいという確かな希望や祈りをもってお勤めされているとしたら、社会全体が、未来永劫残る、美しく、素晴らしい遺産になっていくのだと思います。私たちの活動も、そのような基盤の上に成り立っているのだと感謝し、それぞれの「使命」にこれからも精一杯励もうと警視庁150年の節目に考えるきっかけを頂いた次第です。

東京オリンピック
陸上女子日本代表

田中 希実

「人生は一度きり」
後悔しないよう、常に全力でチャレンジ

 創立150年おめでとうございます!本当に自分たちの身を挺して、東京を守っていただき、感謝の言葉しかないです。
 ラグビーワールドカップ2019の時には、警察の方々のサポートは本当に心強かったです。最近は物騒な事件が続き、警察の負担が増えていると感じています。僕たちも皆さんと協力し、より一層暮らしやすい平和な世の中を作っていけたらと思います。

ラグビー元日本代表

田中 史朗

「共感疲労」

 「お勤めはどちらですか」という問いに「警視庁です」と答える。すると質問者からは畏敬の念をもって「ご苦労様です」という言葉が返ってくる。こんな仕事、ほかにあるだろうか。勤め先を伝えただけ。何をしているかも説明していないのに「ご苦労様です」。それだけ警視庁という組織の偉大や責任の重さを知ることになる。
 ただ、日々の重責を果たす中で疲労を感じることも多いだろう。疲労には、肉体的に疲れたと感じる「肉体疲労」、精神的に疲れたと感じる「精神疲労」がある。これらは原因が自覚できる疲労である。しかし昨今は第三の疲労として「なんとなく疲れたと感じる」という直接的な原因不明の疲労が存在している。これを「共感疲労」という。警察の仕事は多岐にわたっている。援助を求める人に適時適切な援助を与える。職責としても求められるし、実際には職責を大きく超えた援助も行っている。簡単なことではない。この共感疲労とは援助者側が援助するなかで被援助者側に共感し同様につらい気持ちになってしまうことを指す。優しい気持ちはとても大切であるが、それが疲れを溜めてしまうことにつながっているのである。
 最近、「オンとオフの使い分けが大切だ」といわれるが、まさにオフをどう充実させて気分転換できるかがこの共感疲労を少しでも軽減する方法として重要である。
 さて、警視庁と言えば警察官がイメージされがちであるが、組織として考えたとき警察行政職員の皆さんの力が欠かせない。事務系の方、技術・専門・技能系の方の日々のたゆまぬ努力があるからこそ、「警視庁です」=「ご苦労様です」という畏敬につながる。
 150年の節目に当たり、今後の警察の姿を再考することも求められるだろう。卓越した歴史をどう次の世代につなげていくことができるのか。大きな課題であると思うし、期待するところが大である。共感疲労を少しでも低減させながら職務を前に進めていただきたい。

東京未来大学 教授

出口 保行

 警察いらないというのが平和な世の中であります。
 パトロールは地味ではありますが、どれだけ安心を運んでいるか。
 おなかがすいた子の前にパンがあったら、食べちゃうでしょう。が、誰かが居ると、子供なりに考えます。
 パトロールガンガン回ってください。

 テレビ局に行く途中でみかけたお話。
 歩道から子供が「お母さん、パトカーだ。」とパトカーに向かって指をさしていました。
 パトカー赤灯をまわしてマジックハンドのように、上にあげました。
 子供、大喜び。みていて楽しい気持ちになれました。
 すてきな警察でありました。

タレント

所 ジョージ

アメリカ映画を観ると...

 半世紀以上、アメリカ映画の翻訳をしてきて、2つの国のいろいろな違いをイヤというほど見てきた。そのなかでも一番、大きな違いの1つは「警察官」のありようだろう。
 犯罪物が人気の映画ジャンルであるがために、あらゆるタイプの警察官と映画の画面で付き合った。そして彼らを日本の警察官と比べたときに、決定的に異なると思うのは日本の警察官の"礼儀正しさ"(言葉遣いを含めて!)である。
 幸いにも私自身はシリアスに警察のお世話になったことはないが、車線変更違反などでチケットを切られた経験はある。驚いたのは、その時の警察官の対応が何とも礼儀正しかったことだ。違反者であるはずの私が思わず恐縮するほど丁寧な言葉遣いだった。(丁寧語が失われていく一方のこの時代に!)
 交通違反の取締り場面だけにしても、アメリカ映画では、こうはいかない。相手が少しでも反抗的な態度を見せれば、警察官の口からはたちまち禁止語的罵倒語が飛びだし、手が腰の銃に伸びるようなヤバいことになる。それは警察官が悪いのではなく、そう対応せねばならない社会だからだ。
 ひっくり返して言えば、今の日本は警察官が礼儀正しさを保てる安全な社会だということになる。市民にとって治安の行き届いた社会ほど、ありがたいものはない。
 犯罪は尽きない。違法者は後を絶たない。克服すべき難関は山の如しだろうが、日頃接する警察官の礼儀正しさが維持されている限り、私のような一介の市民は穏やかな日々を送れる。この傾向がいつまでも持続する日本でありますように!

映画字幕翻訳者

戸田 奈津子

正義の味方になりたくて

 正義は必ず勝つ! 漫画もアニメも、時代劇を観ても、最後には必ず正義が勝つ。昭和30年生まれの僕は、そんな勧善懲悪の物語に浸って大人になった。世の中の基本に正義がある。それは大きな安心感であり希望だった。
 僕が育った1960年代は、社会的にも文化的にも大きく揺れ動いた時代だ。国家権力に抵抗する過激な学生運動もあった。作家・三島由紀夫は、自衛隊員にクーデターを促して自決した。アメリカからはベトナム反戦運動やヒッピーカルチャーが流入し、文化的にも多種多様な価値観が渦巻いた。
 昭和、平成、令和。時に正義を見失い、いつ転覆してもおかしくない社会不安はその後も絶えずやってきた。でも、気がつけば、僕らは安全安心を信じて淡々と、社会生活を送ってきている。これはひとえに警察という存在があったから。ある種の抑止力があったからだと思う。
 おまわりさんが日々、街を警らし、何かあったら駆けつけてくれる。助けてくれる。そんな安心が太陽の光のように、空気のように、水のように当たり前にある。太陽や空気、水がなければ生きていけないように、警察官がいなかったら、僕らは安穏とは暮らしてこられなかっただろう。
 長年、刑事役を数多くやってきたからか、「刑事役ばかりで飽きませんか」などとよく聞かれる。でも、役とはいえ刑事というポジションに居られることが嬉しい。僕自身、正義の味方でありたいという思いはやはりある。僕が育ってきたように、ドラマを通じて、正義は勝つ、正義はなされるということが、次の世代に伝えられたら意義のあることだと思う。
 刑事役のご縁もあって、時折、一日署長として呼んでいただくこともある。実際にお目にかかる警察の方々は皆さん裏表がなく、人を守る意識、というより覚悟をお持ちだ。
 「ナイフを振り回している人がいる」「暴れている人がいる」と言われて、果たして僕は躊躇なく現場に行けるだろうか。否──。
 しかし、警察官は即座に行く。瞬時に駆けつける。その覚悟、勇気たるや!
 先日も大崎署の一日署長に呼んでいただき、署長さんといろいろな話をした。
 警視庁の捜査第一課長は任期中、東京都から出ないと聞いて、驚いた。いつ、何時、事件が起きないとも限らない。そのとき対応できるようにという覚悟があるからだろう。
 警察官の皆さんも常にある種の緊張の中で生活されている。事件現場を実際に見たことのある刑事は強いとも聞いた。頑張り方が違うという。遺族のために頑張るという意識が全然、違ってくるそうだ。
 かつて東海テレビの生活情報番組で13年、司会を務めていたとき、近隣で立てこもり事件が起きたことがあった。若い警察官が銃撃され、亡くなられている。
 俳優の僕は、番組で事件や事故に関してはコメントしないことになっていたが、そのときだけは放送直近に起きた地元の大事件でもあり、プロデューサーにも頼まれて、番組冒頭でコメントすることになった。
 とっさに思い浮かんだのは、彼が生きていたら、なし得たはずの未来の正義だ。
 若い命が銃弾に散った。彼の家族、周囲の人々の哀しみ、辛さはもちろんだが、それだけじゃない。もし彼が銃撃されずに生きていれば、この先、何年もの間、彼が一人の警察官として守ったであろう多くの命があったはずだ。安心安全があったはずだ。それらもまた、彼の死と同時に損なわれてしまった。未来の希望がひとつ消えてしまったのだ、と。
 そんな話を署長さんとした日の午後、偶然にも長野でまた、警察官が銃撃されるという事件の一報が流れてきた。残念でならない。
 警察官の皆さん一人一人は、人ひとり以上の存在だ。だから、命は大切にしてほしい。正義の味方であり続けるためにも。
 警視庁創立150年、本当におめでとうございます。

俳優

内藤 剛志

「攻めと守りを大切に」

 警視庁が令和6年1月15日で創立150年を迎えます。永年にわたり我々都民の安心安全を守り続けていただいたことに感謝とお祝いを申し上げます。
 私と警視庁。表立ったお付き合いは近くの交番で警察官と談笑するくらいです。
 私事になりますが、この40年余り、自宅に近い警察署に伺ってきました。毎年正月に、署長以下警察に所属する方々が参加する、武道始式を見学するためです。
 歴代の署長さんも参加されたり、警察署に所属している人たちが新年初の剣道の手始めに取り組みます。
 そうした頃に読んだ今年の新聞記事を思い出します。来年から小学校に入ろうという子供たちに「将来どんな仕事をしたいか」とアンケートをしたところ、男の子の1位は警察官、女の子も警察官が4位にランクされていました。子供達の世界でも自分達の安心安全を守ってくれるのは身近にいる「お巡りさん」なのです。
 警察での剣道の戦いは後半に入ってベテラン同士の戦いに熱がはいって来ます。野球に例えれば、守備もあれば攻撃もある。剣道の世界だけではない。毎年の見学で思うことですが、警視庁全体が「攻めと守り」に明け暮れる組織なのだ、と改めて痛感させられます。
 都民、市民の安心・安全を守る一方で、年々複雑化している凶悪犯罪との闘いを封じ込めるのも警視庁にとって大切な責務なのです。警視庁には数万人の方々が所属されて、都民のために、日夜、働き続けておられる。こうした努力を聞き、確認するたびに感謝の気持ちしかありません。
 創立150年を迎えられた警視庁を始め、全国の警察関係で活躍されている皆様に心から御礼申し上げます。

読売巨人軍終身名誉監督

長嶋 茂雄

宇宙一を目指して

 警視庁の皆様、こんにちは!
 このたびは警視庁創立150年、誠におめでとうございます。長きにわたり我々一般市民、および首都東京の安心・安全を守っていただき、心からの感謝の意を表します。
 東京警視庁が設立されたのが1874年とのことですから、明治・大正・昭和・平成、そして令和と、気の遠くなるような長い時代を、見事に伝統を継承しつつその時代ごとの犯罪や脅威にご対応されてきたことに敬服しております。現代はさらにサイバー空間や複雑化する国際社会での対応事案も多いと伺っております。我々が暮らすメトロポリタン・Tokyoの運命は、警視庁職員皆様の双肩にかかっていると申しても過言ではないでしょう。
 これからも世界一、いや『宇宙一』の安全・安心な国際都市を目指し、未来に向けて飛躍と発展を継続していただきたく、よろしくお願いいたします。
 末筆ながら、警視庁職員皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

宇宙飛行士

野口 聡一

前進あるのみ!

 私は下を向いて過ごすことが大嫌いなので、何か悪いことがあっても、「こんなものは誰しもあることだから気にしない」と考え、後を引かないようにしています。その場に立ち止まっている時間があったら、前進あるのみです!
 私は、警察の皆さんをすごく頼りにしています。本当にいつも見守ってくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんが頑張ってくれているおかげで、助かっている方がたくさんいます。お仕事大変だと思いますが、皆さんどうかお身体に気を付けて、頑張ってください。

声優

野沢 雅子

「何気ない毎日」に感謝を

 鉄道と馬車の時代から現代に至るまで、私たちの毎日を守り続けていただき、心から感謝申し上げます。時代ごとに変化するリスクや脅威に対応し続けることは、決して容易なことではなかったと思います。警視庁の皆様が持つ使命感と努力に、深い尊敬の念を抱きます。
 「災害時の学生・語学支援ボランティア広報用動画」や、「110番イメージキャラクター」、「警視庁公安部サイバーテロ対策 WEBドラマ」への出演などで関わらせていただきました。
 大切なメッセージを呼びかけることに協力させていただき、ありがとうございます。
 これからも警視庁の皆様と都民の皆様の懸け橋となるようなお手伝いをさせていただけるよう頑張りたいと思います。
 改めて、この度は警視庁創立150年、誠におめでとうございました。

俳優・アーティスト

のん

共につくる安全の暮らし

 「母ちゃんただいま!」と言って職務を終えたお巡りさんが集まってくる家でした。実家はテーラーを営んでいたので、いつも両親が店にいる。パトロールの途中に立ち寄ったお巡りさんにお茶を出し「ご苦労様一服していきな」。と声を掛ける母のことを、母ちゃんと呼んで慕って来てくれる若いお巡りさんをいつも近くで見ていました。警察官になって初めての配属先が故郷から遠い土地だったりすると、安全安心を守るぞ!と高い志を持っていても、不慣れな地ではやはり心細い筈です。それを母は若い巡査の第二の故郷になるようにと面倒をみていたようです。見合いをさせて結んだ縁もありました。現代は世知辛い世の中ですから、警ら中にお茶を一杯なんてことも出来ないのかもしれません。でも私は思うんです。お互いに顔が判る見えるから、この人達の日常を守りたい!この街を安心して住める街にするんだ!という強い意志が生まれるのではないかと。もしも警察官なんだからそんなことやって当たり前だと市民が思っていたら、私達が変わっていかなければいけません。交番の前に立っているお巡りさんに「おはようございます」「ご苦労様です」声を掛けることから始める。言われたら嬉しいですよね。頑張ろうという気持ちによりなってくれると思うんです。ちょっと前に都内でも強盗殺人事件がありました。我が家の近くで怪しい人がうろついてるのを見つけ警察に相談しました。以来パトロールで近くを通ると、ピーポくんのメモ用紙をポストに入れてくださいます。守られているという安心感に包まれます。警察の皆さん!いつもパトロールありがとうございます!警察に頼るだけではなく、信頼関係をしっかり築き、力を合わせて住みよい街を作っていくことこそ大切だと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

落語家

林家 たい平

日頃の感謝の気持ちを込めて

 大正9年に始まった箱根駅伝。歴史と伝統が詰まったこの大会は多くの方々に支えられてきました。長きにわたり安心・安全に大きなトラブルなく円滑にレースが執り行われてきたのも、警察官の皆様の綿密な事前準備、日頃の訓練や統制、白バイやパトカーなどの運転技術によるものだと思います。2日間約220㌔11時間にも及ぶ熱戦、沿道には約200万人もの多くの市民の皆様がかけつける、もはや国民行事といっても過言ではない駅伝に成長させていただきました。選手の安全のために全力を尽くしてくださっていることに、改めて感謝申し上げます。
 また、日頃の生活環境の場においても献身的にサポートをいただいています。箱根駅伝優勝以降、メディアへの露出も増え、選手達の生活拠点町田寮の存在も広く世間に伝わるようになりました。応援していただく多くのファンの皆様がいる一方で、時にはこの活躍を良く思わない人も現れてきました。私は寮監として一緒に学生と生活をしていますが、大学生とはいえ、まだまだ精神的には未熟な部分もあり、ちょっとしたことで大きなトラウマを抱えることになりかねない存在です。そんな学生たちが不安にならないように、日頃から周辺の見回りや声かけをしてくださることで、安心して生活できる日々を過ごすことができるのだと感じております。重ね重ねお礼申し上げます。
 さて、私自身今でも忘れられない警察官の方とのエピソードをご紹介させていただきます。それは子供の頃、10円玉を拾って交番に届けたときのことです。交番にいた警察官の男性は「偉いね!有難う!今から紛失届け書くからね」と嫌な顔一つせず、満面の笑みで対応してくれました。多忙にもかかわらず、子供であっても、ひとつひとつの市民からの働きかけに丁寧に対応してくれた姿が今でも心に残っております。
 最後に、交通取り締まりなど時には市民から「厳しすぎる」「杓子定規な対応はいかがなものか」と厳しい言葉を投げかけられることもあるとは思いますが、警察官が適当な対応をしているようでは安心・安全な国づくりはできません。これからも凛とした姿勢でカッコよく毅然として職務を全うして下さい!
 警察官は私たちの「正義の味方」これからも日本国の安心・安全をお守りください。

青山学院大学 陸上競技部 監督

原 晋

悪くても感謝

 僕の座右の銘は「悪くても感謝」です。良いことが起きたときには皆さん感謝しますよね。ですが、アクシデントに見舞われたとしても、ネガティブに捉えずに感謝をしてみてください。困難を乗り越えたとき、必ず今より成長した自分がいますから。これは、母親から受け継いだ言葉なんです。これのお陰でどんなに辛くても、逆境が楽しくなってくるんです。
 警視庁の皆さんには「感謝」の言葉しかないです。僕も子どもの頃に警察官になりたいと憧れていました。今の時代でも子供たちの憧れの的であってほしい。警察は自分たちの守護神なんだと、我々にとっていつまでも憧れの存在でいていただけると嬉しいです。

俳優

船越 英一郎

「警視庁・創立150年に思いを馳せて」

 「警視庁」が創立150年を迎える。まさに自由民権運動が始まった年、日本が大きく変わろうとしていた1874年(明治7年)1月に「東京警視庁」として当時の八重洲町に創立された。木造の庁舎からいわゆる赤煉瓦庁舎に変わったのが1911年(明治44年)、場所は麹町区有楽町、今の千代田区有楽町にあたる。写真を見る限り、赤煉瓦庁舎にはなんとも言えない威厳と風格が漂っている。その後、丸の内に構えていた本庁舎は関東大震災により1931年(昭和6年)から現在に至るまで千代田区霞ヶ関に本庁舎を構えている。現在の近代的な警視庁はまさに国際都市のMPDならではだ。歴代警視庁舎の写真を見ていると、その変遷と共にそこで起きていたであろう様々なドラマを想像する。他愛のない事件ならまだしも、命に関わるような、時には社会を脅かすような事件も150年の間には数え切れない程あった筈だ。涙も笑いも、希望も怒りも失望も、その長い歴史の中に刻まれて今の警視庁があるのだと思うと、僕などは少し胸が熱くなる。
 警察の仕事は言わずと知れた人々の安全な暮らしを守ること。つまり人一倍の正義感と責任感の持ち主でなければ務まらないだろうと思う。1400万人余りの都民の生活をおよそ5万人の警察職員が支えてくれている。地上で海で、そして空からも。その警察職員の皆様も、仲間や、そして何より家族の支えがあればこそより良い仕事も出来るのではないだろうか。やはり社会はそれぞれが支え合って成り立っている。ならば我々都民は安全を享受していることに対して何が出来るのだろうか。
 「ひとつよろしいですか?警察職員の皆様への感謝と協力。それぐらいのことはしてみては如何でしょう?」
 僕が演じるあの人ならば、きっとそう言うに違いない。警視庁創立150年に思いを馳せて、そんなことを思っている。

俳優

水谷 豊

私の安全と安心感

 警視庁創立150年のお祝いを申し上げます。激動の現代史の明るい面も昏い面も等しく見守る150年であったと思います。
 ミステリー作家の一人としては、取材で何度もお世話になりまして、今も感謝の念を忘れることはありません。ミステリー愛読者の一人としては、警視庁の様々な部署(架空のものも含めて)の刑事さんたちが活躍する警察小説を読むことは、 何歳 いくつ になっても私の人生の変わらぬ楽しみです。幸運なことに、現実の暮らしのなかで直接110番するような事態に直面したことはありませんが、私たち都民の安全と安心感が保たれているのは、警視庁に奉職されている皆様のたゆまぬ努力のおかげであると、折々に強く噛みしめています。これから先の100年、150年も、警視庁が市井の暮らしを守る堅牢で優しい砦であり続けてくれますよう、心より願っております。

作家

宮部 みゆき

警視庁創立150年おめでとうございます

 警視庁の皆さん、この度は創立150年誠におめでとうございます。
 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では、大きな事故もなく、無事に完遂することができ、国内はもとより世界中にスポーツによる感動を届けられました。これも警視庁の皆さまのお力添えがあったからこそであります。
 今後も150年という長きにわたる警視庁の伝統を継承しつつ、引き続き我が国のスポーツ界を支えて頂き、輝かしい未来への飛躍と発展をされることをお祈りしております。

スポーツ庁長官
 アテネオリンピック 男子ハンマー投げ 金メダリスト

室伏 広治

共に歩む

 創立150年、誠におめでとうございます。日本サッカー協会は2021年に創立100周年を迎えましたが、警視庁はさらに50年近く前に創立されていることに警視庁の歴史の深さを感じます。
そして日頃から日本国民を守っていただきありがとうございます。みなさまのご尽力には敬意と感謝の気持ちしかございません。
 私はサッカー日本代表の監督を務めさせてもらっていますが、常日頃、サッカーやスポーツを通して日本のみなさんに笑顔や勇気を届けたいと思っています。
 サッカーはシンプルなスポーツです。ボール1つあればすべてが始まります。蹴るのも見るのも、応援するのも楽しいスポーツです。だからこそ、年齢・性別・障がい・人種などに関わりなく、だれもが、いつでも、どこでも繋がれる喜びがあります。お互いが尊重し合いながら心と心がインクルーシブに連帯し、絆を力に変えていくことが、わたしたちの果たすべき使命だと感じています。
 私を含む多くのサッカーファミリーの仲間がこの使命を果たすためにも日頃から社会の秩序と安全を守ってくださる警察のみなさまのたゆまぬご尽力が今後も必須になってくると思います。
 共に、より良い社会創生に向けて歩んでいければいいな、と感じております。

サッカー日本代表監督

森保 一

警察と私

 私はフツーの人なので、警察沙汰になるようなことを自分で起こしたことはない。
 今年は別宅で、昆虫標本につけるラベルをパソコンで作っていたら、突然警報が鳴り響き、画面にマイクロソフトのセキュリティー担当を名乗るヘンな外人が出てきた。要するにパソコンを乗っ取った詐欺だが、さしたる被害もなく、たまたまやってきた娘が所轄の警察署に連絡して、刑事さんが来てくれた。時代が変わると、刑事さんもあれこれ対応に苦労するだろうな、と思う。
 警察関係者は世間の変化を理解しなければならない。私のような時代遅れの老人が増えているはずだから、過去も未来も知らなければならない。自分の身の回りだけの安全を考えている一般人の相手はさぞ大変だろうと推察する。ありがとう、ご苦労さまです、というしかない。

医学博士

養老 孟司