警視庁には、 約台のパトカーがあり、 その機動力をいかした広汎なパトロールにより、 犯罪の予防活動等にあたっているほか、 事件・事故等が発生した際には、 素早く現場に赴き、 犯人の検挙、 各種事故処理等の活動を行っています。
戦後の社会的混乱を背景に各種犯罪が続発した昭和23年頃、 警察活動は機動性、 通信性を持つことが必要とされました。 このため、 警視庁は、 自動車警らについて様々な研究をおこない、 翌24年1月1日から浅草警察署管内で自動車警らを試験的に開始しました。 使用した車両はフォード製で、 2人の勤務員が乗り、 車の両側を幅30cmの幕で覆い、 それに「移動警察」と墨書したものでした。 この自動車による警らは15日間でしたが、 効果が予想以上に大きかったことを受けて、 昭和25年6月1日、 小型車両3台、 勤務員54人をもって自動車警ら隊が発足されました。
昭和25年当時のパトカー
現在のパトカー
パトカーが日本に初めて登場した当時は、 日本で生産される自動車の色は白色がほとんどで、 ちょっと見ただけでは、 パトカーと一般の自動車の見分けがつきませんでした。 そこで、 ボディの下半分を反対色の黒色にしたのが始まりで、 昭和30年には、 全国的に統一されました。