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南千住警察署

警察署の概要

更新日:2022年4月6日

沿革

大正4年6月15日

千住警察署南千住警部補派出所開設

大正6年4月1日

南千住分署に昇格

大正7年5月22日

南千住警察署誕生

昭和3年3月31日

旧南千住署庁舎完成

昭和20年5月10日

空襲で署庁舎全焼

昭和60年11月28日

現所在地(旧東京スタジアム跡地)に新庁舎が完成し、現在に至る。

管内のあらまし

荒川区南千住は、江戸から日光への参拝や参勤交代の往来で賑わう、日光街道中最初の宿場町としてだけでなく、水陸両交通の拠点として栄えてきました。
1871年(明治4年)に千住南町組と改称され、その後1889年(明治22年)に南千住町へと改称され、現在に至っています。
歴史の跡と下町情緒が残るJR常磐線西側地区と、南千住西口駅前地区市街地再開発事業やつくばエクスプレスの開業等、大規模なまちづくりが進むJR常磐線東側の汐入地区と、異なる表情を楽しむことができる魅力溢れる街となっています

管内の名所と史跡

千住大橋

千住大橋は、徳川家康が江戸に入り、初めて架けた橋です。
この辺りは江戸の北の玄関口であり、松尾芭蕉もここから奥州へと旅立ちました。また、歌川広重の名所江戸百景「千住の大はし」にも描かれています。

旧千住製絨所煉瓦塀

殖産興業をすすめる明治政府のもと造られた日本初の官営毛織物工場である。現在は当時の煉瓦塀の一部が残っています。
ここでは、軍服や警察官の制服生地を製造しており、約70年間稼働し日本羊毛工業発祥の地となりました。

円通寺・上野寛永寺黒門

1868年(慶応4年)の上野戦争で戦死した彰義隊士が葬られています。彼らの死を悼み弔ったのが円通寺の住職という縁で、上野寛永寺の黒門が移設されました。
そこに残る弾痕は、当時の戦闘の激しさを現代に伝えています。

ドナウ広場

ウィーン市ドナウシュタット区と友好都市提携を結んだ記念として、駅前にドナウ広場とドナウ通りが整備されました。
広場には「ドナウの調べ」と名付けられたブロンズ像が、両区の永遠の友好を願って置かれています。

素盞雄神社

795年(延歴14年)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした素盞雄命、事代主命が現れて神託を告げたといわれています。その石は瑞光石と呼ばれ、この二神を祭神としました。
管内の「瑞光」という名称は、これに因るものです。

汐入再開発地域とスカイツリー

隅田川沿い(汐入地区)は、再開発により中高層マンションが建ち並び、また水辺や公園が整備されたニュータウンとして生まれ変わり、人口が大幅に増加しました。
整備された汐入地区からは、隅田川の先にスカイツリーも臨むことができ、区民の憩いの場となっています。

情報発信元

南千住警察署
電話:03-3805-0110(署代表)

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