更新日:2016年3月31日
平成25年9月5日、岩手県大船渡市立第一中学校の生徒さん6名が、修学旅行の機会に「震災復興支援への感謝と私たちの未来を伝えよう」と、訪問してくれました。
警視庁2階の「ふれあいひろば警視庁教室」において、生徒さんたちから仮設住宅や現在の市内の様子、被災者を支えるために行なってきた中学校のボランティア活動についての発表があり、岩手県に派遣されていた警察官や第五機動隊員が「感謝」と書かれた大漁旗の贈呈を受けました。
生徒代表の休石 和真(やすみいし・かずま)君からは、「震災には沢山の警察官が来ていただき大変安心して生活できました。これからも応援よろしくお願いします」との力強い挨拶があり、警視庁側からは、岩手県で活動した警察官が「勇気と希望を持った皆さんを支援できて誇りに思います。」と激励しました。
最後に同県出身の小笠原 和美広報課長から「岩手の子供たちのことが心配でしたが、皆さんが元気な様子で本当に嬉しいです。他人のために尽くす気持ちを大切にしながら、岩手の復興のため、これからも頑張って下さい。」と応えました。
[震災当時と現在の市内の様子を説明]
[大漁旗の説明]
[大漁旗の贈呈]
[広報課長からピーポくんの贈呈]
[警視庁見学の様子1]
[警視庁見学の様子2]
[警視庁見学の様子3]
大船渡市立第一中学校生徒から届いた「訪問の目的」全文
〔訪問の目的〕
地震発生の時は、中学校は卒業式の前日であり、会場の準備や各学年では学活や集会をしていました。本校は、築53年の3階建ての校舎であり、当時は、耐震工事の真っ最中でありました。
長い揺れの中、教室内の物の落下や壁・天井の破損そして、教室の窓から周辺の住宅が激しい音とともに倒壊する様子を目の当たりにしました。校舎の倒壊の危険が高かったため生徒は、教室から小雪の舞っている寒いグランドへ避難することになりました。その時も校舎の揺れも激しく階段を歩くことも大変危険な状態でした。訪問させていただく生徒は、当時小学5年生でしたが、やはり同じように恐怖を感じながら避難したものと思います。
すぐに、ライフラインは止まり、あの地震と津波を経験することになりました。本校は、比較的海からは離れており、津波の被害はありませんでしたが、一部の生徒の家の流失・全壊や家族との悲しい別れを経験しました。生徒は、学校におり、全員助かりました。
その後、学校の体育館は、壁や天井の破損がひどく避難所としての役割を果たすことは出来ませんでした。その後、体育館は遺体安置所となり、400以上の方の御遺体の安置所となりました。グランドは、ヘリポートに使用されました。
学校を再開することができたのは、4月21日でしたが、私たちの先輩たちは、3月11日の2日後には活動を始めました。
校門に(その時は、布一枚も手に入れることは出来ませんでしたので、シーツを持ちより)「私たちは、震災に負けません。今こそ心を一つにして頑張りましょう。」というメッセージを書いて地域の方々に呼びかけました。その後、『希望新聞』を作り「私たちに出来ることは何でもします」というメッセージを載せ、避難所や近くのスーパーや学区の家々に配布しました。
また、一中生全員で希望隊を結成し、家の泥あげや家財の片づけ・河川敷きや道路の瓦礫の片付け支援物資の仕分けや分配、自衛隊の方々の炊き出しをおにぎりし1日に1万個作ったり、避難所に出かけて合唱をするなど、私たちが出来るボランティア活動に取り組みました。
この活動は、現在も続けています。
グランドには、仮設住宅が120棟建っています。これは、市内の小中学校も同じです。グランドは使用出来ません。
しかし、私たちは、世界中の皆様から多くの御支援や温かい言葉を心の糧として、学校生活を送っています。鉛筆一本も買うことが出来ない日々が続きましたが、御支援をいただき本当に助かりました。
町を見回しても私たちの故郷はまだ、震災前と同じ暮らしになっておりません。やっと瓦礫が片づいた状況で、部活動などで使用していた施設もあの日の姿のままで建っています。
でも、悲しんでばかりはいられません。多くの方々からの御支援に感謝しながら、私たち若い世代が知恵と力を出し合い1日も早い復興をしていこうと考えています。
修学旅行をよい機会とし、御支援に感謝申し上げるとともに、これからもこの御縁を大切にしていきたいと思い訪問をさせていただきたいと考えております。
(2年生徒一同)
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電話:03-3581-4321(警視庁代表)