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高島平警察署

高島平署の概要

更新日:2022年12月22日

署の生い立ち

昭和47年に、当時、東洋一の高層マンモス団地と言われた高島平団地への入居が始まり、その後の大幅な人口増加が見込まれたことから、志村警察署からの分離が検討された結果、昭和61年2月に高島平団地のほぼ中央に警視庁97番目の警察署として開署し、令和4年2月に創立36周年を迎えました。


高島平警察署庁舎

高島平の地名の由来

現在の高島平一帯は、かつて、徳丸ヶ原とくまるがはらと呼ばれ、江戸時代の天保12年(1841年)には、長崎の有力な町年寄であり西洋砲術家であった高島秋帆たかしま しゅうはんが、ここ徳丸ヶ原で日本初の西洋式軍事調練を実施しました。その後、明治以降は、徳丸ヶ原は徳丸たんぼ、赤塚たんぼと名を変えて都内有数の穀倉地帯となり、戦後は国の住宅増加政策もあり、今の住宅都市整備公団(UR)がこの一体を買収しました。そして、板橋区はこの地域一帯の地名改称にあたり、高島秋帆が日本の近代化に大きな功績を残したこと、そして地形が平らであることから、昭和44年3月にこの地域を高島平としました。

管内のあらまし

高島平警察署管内は、板橋区の北西部に位置し、東西約3.3キロメートル、南北約3.5キロメートル、面積11.58平方キロメートルの概ね四方形の形をしており、板橋区の約36パーセントの面積を占めています。
北部は荒川を隔てて埼玉県わらび警察署管内に、西部は同じく埼玉県朝霞あさか警察署管内に、南部は当庁の光が丘警察署管内に、東部は当庁の志村警察署管内にそれぞれ隣接しており、管内人口は約17万人、世帯数は約9万7千世帯(数字は令和4年7月現在。警視庁文書課集計に基づく)です。
地勢は、管内北部の新河岸しんがし地区、高島平地区は平坦で、新河岸川を挟んで北側の新河岸地区には、東京都下水処理場があるほか、工場、会社などが多くなっています。一方、新河岸川を挟んで南側の高島平6丁目から9丁目は、1日約1,400台のトラックが出入りするトラックターミナルや、青果市場である板橋市場があるほか、小規模マンションが建ち並ぶ住宅街となっています。また、幹線道路の高島通りの南に位置する高島平1丁目から3丁目にかけては、高島平警察署を中心に東西に伸びる64棟の高島平団地が建ち並ぶほか、広大な面積の都立赤塚公園が地域住民の憩いの場となっています。
管内中央部の徳丸、赤塚地区の高台は古くから栄え、歴史を偲ばせる寺社の松月院、乗蓮寺などの名所旧跡も多く、また緑地や畑が多く残っており、畑では農作物の栽培が行われるなど、のどかな風景が広がっています。
管内南部は、川越街道、東武東上線の各駅を中心とする商業地域で、地域によっては市街地再開発が進められているなど、商業地域としてさらに発展することが期待されています。

情報発信元

高島平警察署
電話:03-3979-0110(署代表)

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