更新日:2024年6月25日
手記「贖(あがな)いの日々」
「贖いの日々」第48集より
これは、飲酒と車の運転に対しての甘い考えが取り返しのつかない悲劇を引き起こし、被害者や遺族の方々の人生を狂わせたばかりでなく、自分の人生をも狂わす結果となった交通事故の加害者が、市原刑務所服役中に執筆した手記1編を掲載したものです。
命の重さ・大切さ
自営業(38歳)
私は、その年の10月末日午後9時30分頃、飲酒運転をしてしまい、一人の尊い人命を奪ってしまいました。自動車運転過失致死、道路交通法違反(酒気帯び運転)の罪名で起訴され、判決の結果、2年6月の刑期が確定し、刑務所に服役することになりました。
その日私は、取引先である会社の社長と打ち合わせをし、その後、近くの居酒屋で午後6時頃から9時頃まで飲酒をし、アルコールが入ったまま車の運転をし、取り返しのつかない事故を起こしたのです。ハンドルを握る人間として決してやってはいけない飲酒運転、毎日のように新聞やニュースでもこぞって取り上げられ厳罰化されているのにも関わらず、「自分だけは大丈夫」、「近いから、まだ時間が早いし」、「そんな飲んでないし」、「酔ってないし」と自分勝手な理屈や判断、行動が原因で一人の尊い命を奪ってしまったのです。その時は、飲んで運転している後ろめたさもあったのか、普段よりは慎重に運転していたつもりでした。突然、車の左側に何か気配を感じ、「あっ」と思った時には「ガシャン」と音がして、自転車と共に75歳の男性を撥ねてしまったのです。すぐに車から降り、被害者の方に駆け寄り何度も何度も声を掛けたのですが、反応もなくぐったりしていました。頭の中が真っ白になり、パニック状態で何がなんだか分からなくなって、ただただ「助かってくれ」、「早く救急車きてくれ」と祈ることしかできませんでした。
被害者の方は緊急手術をしましたが、意識は戻ることなく息を引き取ったと警察の方から知らされ、私は人の命を奪ってしまった事の重大さに改めて気付き、何日か食事を取ることもできず、あの時の音(ガシャン)、状況が目を閉じると再現され眠る事ができず、私自身が死んでお詫びをしなければと何度も何度も考えてました。しかし、私が死んだからといって何の解決にもならないと考え直し、一生を掛け償い続けなければいけないと思い直しました。被害者の方、被害者ご家族の事を考えたら、私はまた勝手な考えをしていると思ったのです。
私は逮捕され拘置されていましたので、直接の謝罪はできず、弁護士を通じて手紙で謝罪をし、妻や両親が私の代わりに被害者ご家族に会い、謝罪をして貰っていました。土下座をして謝罪した事を面会時に聞き、妻や両親にまで辛い思いをさせてしまっている事に本当に情けない気持ちで目を合わせることもできませんでした。保釈後、被害者ご家族に連絡を取り謝罪することができ、示談にも応じて頂きました。私の起こした事犯は決して許される事ではないのに、どんな気持ちで示談に応じてくれたのかと思うと本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。
私は現在、市原刑務所で受刑生活を送っています。私が起こした事犯から逃避せず向き合い、今までの自分勝手な判断や考え、大人としての自覚の甘さを改めて直し、生まれ変わる事もひとつの償いになるのではないかと考え、事犯を忘れないよう、日々、手を合わせ、反省し少しでも償いになるのではないかと過ごしています。私には命があり、これからは私の一生を懸けて償い続けていく決心でいます。それに、不自由な生活をさせてしまっている妻や幼い子ども達の事も考えれば、辛いなどと言ってはいられません。
私は被害者の命だけではなく、家族そして両親にまで被害を与えてしまったのです。それなのに私は家族に支えてもらっています。たくさんの方々にも支えられ、過ごしています。この恩を決して無駄にせず、今度は私が支えていく人間とならなければなりません。
最後に、この手記を読まれた皆様にお願いです。決して、飲酒運転を許さないで下さい。
もし身近でしている人がいるのならば、注意をし、止めさせて下さい。私のような人間がこの世からいなくなって欲しいのです。両親や妻、子ども達にこんな辛い思いを与えないで下さい。自分一人の命ではないのです。事故を起こしてから、人の命を奪ってから気付いたのでは遅いのです。命は、二度と戻らないのです。幸せな生活の日々は、戻ってこないのです。
情報発信元
警視庁 交通総務課 交通安全対策第一係
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